遊戯王5D'sの話、ではなくて、懐かしくて見始めたアニメの最終回が怖くて見られなくなってしまったという話です。気持ちの整理のために書いた記事になります。
最終回を見るが怖い
デュエルリンクスをプレイしていて、ふと「遊戯王5D's」が懐かしくなり、見始めた。遊星の「おい、デュエルしろよ」から始まり、まだ堂々たるキングとしての姿を見せるジャック・アトラス、まだ遊星に対してツンツンのアキさん、そして後々合体事故で有名になってしまうプラシドがまだ強キャラっぽく登場する姿まで、知っているキャラクターたちが出るたび嬉しくなった。日常の回が続いたと思えば、急に物語が展開し、終わりに向かっていく。「あ、終わるわ」と悟った瞬間に見るのを止めてしまった。私が見たいのは物語の結末ではなく、このキャラクターたちの日常なんだ。一生見ていたい。
作品やキャラへの執着心が強まった
子供の頃は何もかもが新鮮で、日々が楽しいことや面白いことにあふれていた。面白いものがそこら中に転がっているら、何かが一つ終わってしまったとしても、悲しいとか怖いと感じることはほとんどなかった。
しかし、大人になった今は違う。興味が偏り、好みが定まってしまったせいか、作品を選り好みするようになり、一度心を奪われた作品やキャラクターには強い愛情や執着を感じるようになった。作品の世界観や物語に深く入り込むことも多くなった。
昔は、何かの終わりが来たとしても、それは次の新しい世界への扉に過ぎなかった。しかし大人になってからは終わった後の消失感が大きくなり、無意識のうちに「終わってしまったら、もう同じ楽しさは二度と戻ってこないのではないか」と感じてしまう。それが、終わりに対する恐怖を生み出しているのだと思う。
終わりは見届けるべき
物語の終わりに対して怖さや消失感を感じるようになってしまったのは仕方がない。大人になるとはそういうことなんだ。知らんけど。そこで、「ここまで見てきたのに、最後まで見ないのはもったいなくない?」と自分に問いかけてみる。もし途中で止めてしまったら、その作品やキャラクターたちが何を伝えたかったのか、その本当の意味を見逃してしまうことになる。最後まで見届けることで、作品に込められたメッセージやテーマに気づき、真の満足感を得られるはず。そう思うと、最後まで楽しむことの大切さが見えてくる。終わることを受け入れ、最後まで見届けるべきなんだ。
どう克服するか?
最終回への恐怖を抱えながら、物語を楽しむことはできるのだろうか。ということで、具体的な方法を考えてみたい。
終わりとは新たな始まり
終わりを迎えたからといって、作品やキャラクターに会えなくなるわけではない。むしろ、物語の完結は新たな発見や視点を生む機会だ。幸いにも今の時代にはストリーミングサービスがあり、何度でも好きなシーンを見返すことができる。見返すうちに新しい発見があるかもしれない。さらに、同士と語り合うことで物語の別の一面を知ることもある。さらには、二次創作という奥の手もある。終わってしまうなら、自分で新しい物語を生み出せばいい。終わりとは一つの区切りに過ぎず、新しい形での再会や別の物語の始まりとなるのだ。
次の楽しみを見つけておく
物語の終わりを迎える前に、新しい楽しみを探しておくのはどうだろう。次に見るアニメや読む漫画、遊ぶゲーム、熱中できそうなものをあらかじめ見つけておけば、今の作品が終わる時の寂しさを和らげることができるかもしれない。
…というわけで、見ようと思っていた「遊戯王GX」に手をつけてから、「遊戯王5D's」の最後を見届けようと思う。
プラシドは爆発しろ。
ねぎしま(:]彡